ノンは正当美人の末裔

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エジプトはノンのふるさと!?


前々からノンのどぎついメーキャップは、どこかで見たなあと思っていたら、そうなんです、エジプト式メーキャップだったんであります。

このエジプト式メーキャップにもちゃんと意味があって、一つはナイル川に発生する、害虫の「ブヨ」よけ。
そうそう、あの「ブヨ」って、なぜか分からないけどとにかく目に飛び込んでくるので、すごく困りますもんね。エジプト式どぎついアイシャドーは、この「ブヨ」よけの意味がありまして、「ブヨ」がいやがるにおいを出す薬草が入っていたそうです。

もう一つの理由は、やはり呪術的な目的らしいです。
エジプト〜ローマ時代くらいまでは
「邪眼(じゃがん)」
という呪術が信じられておりました。これは、黒魔術的威力を持った者が相手をにらみつけて、その眼力によって相手を死なせてしまうというものです。
神話に登場する「メドゥーサ」なんかがこの「邪眼」の持ち主ともいえます。「メドゥーサ」の顔を見た者は、その恐ろしさに皆、岩になってしまうというあれですね。
数学の定理で有名なピタゴラスは、実際には数字を崇拝する新興宗教の教祖で、とても迷信深かったそうです。彼は朝起きると、血相を変えて自分の寝床を直すのを日課にしておりました。というのも、当時、
「邪眼の持ち主に、寝姿のついたシーツを睨(にら)まれて呪いをかけられると死んでしまう」
という俗信があったからなんです。
こんな調子で「邪眼」は、当時の人々には恐るべき黒魔術と思われていたのですね。

では、この邪眼にどうやって対抗するかというと、方法は3つあります
その1
「鏡で邪眼の視線をはねかえす」
これは実際に、ヘラクレスがメドゥーサを退治するときに使ってますね。鏡は相手の邪眼をはねかえし、逆に相手に致命傷を与えられる神聖な呪術道具として広く信仰されていました。鏡をあがめたり、呪術的小道具として使うのは東西を問わず行われています。マヤやアステカの人身御供が捧げられた池からは、人骨とともにおびただしい鏡が見つかるのもこのためですし、日本の古墳から必ずと言っていいほど鏡が出てくるのも同じ理由です。今でも山伏は山に入るときに鏡を持って行くし、道教の呪道士(「キョンシー」を生み出す魔術師たちといったほうが知られているかな?)も、必ず祈祷に鏡を使います。
その2
「目がつぶれるほど汚いモノを見せる」
これも考えてみれば有効な手段です。ですから、中国には「五毒符(ごどくふ)」という、変な護符があったりします。これは八卦や太極のシンボルマークの下に、「ガマガエル」「サソリ」「ムカデ」「毒虫」「毒蜘蛛」が載っているもので、なぜわざわざ、こんな有毒の気持ちの悪い動物ばかり刷り込んだのかというと、ひとえに「邪眼よけ」のためです
その3
「にらまれたらにらみ返す」
相手が強烈な視線でにらんで呪術をかけるのだから、こちらはそれを上回る強烈さでにらみ返せばいいのです。エジプトではこのやり方が一番使われていて、
「ウジャトの眼」
という護符やペンダントまで作られていました。これは例の「エジプト式どぎついアイシャドー」を施した眼が、相手をにらんでいる様子をかたどったモノです。
そうです、誰だってああいう強烈なメーキャップの眼でにらまれたらビビリますからね。ノンのどぎついアイシャドーは、魔よけのまじないでもあるのでした。

 エジプト後の文化は、ご存じのように西ではギリシア、ローマと続き
東洋は中国、日本と華開きます。
面白いのは、どの地域でも一時
「かっぷくのいい、堂々たる美人」
がもてはやされる時代がきていることであります。
ギリシア時代の美女像というのは、現在と同様のプロポーションのモノもありますが、大多数はかなりかっぷくがいいです。
大学時代にとてもきれいな子がいて、目鼻立ちがやたらバタくさかったので、ほめるつもりで
「まるでギリシア美人だね君は」
と私が言ったら
「ギリシアって・・・あの・・・ボテボテの!?!?!?」
と、完全に相手の子を怒らせちゃったこともありました。
中国では唐の時代頃から、急に美人が「大型化」します。
その前の時代の隋の頃には、無理な食事制限で命を落とす女官が続出し、政府から
「ダイエット禁止令」
が出るほどだったのですが(いつの時代でも女性のキレイになりたいという願望はすごいものがあります)、あの楊貴妃(ようきひ)がその風潮を一変させてしまいました。
この楊貴妃、見事なくらい「堂々たるかっぷく」だったそうで、何しろ世界三大美女の一人なものだから、あっというまに中国は「太めの美人」がトレンドになっちゃいました。

この風潮は当時の日本にもあっという間に飛び火しました。何しろ昔から舶来モノに弱い国民性です。奈良時代の「樹下美人図」など、
「おっかさーん!」
と、思わず叫びたくなるような堂々たるかっぷく。
それに続く平安時代も、やはり太めがトレンドでした。
現在の基準からすると「うひゃーーーー」と思うくらいの、シモブクレ顔であります。

これには当時の栄養事情も密接に関わっているそうです。ナイルの恵みで国民がとても豊かだったエジプトと違い、ギリシアもローマも荒野に育った文明です。中国も日本も、古代エジプトほど豊かじゃありません。
栄養事情が悪く、みんなやせているので、太っている人が珍しかったんであります。
当時のこれらの国では、太っているということはすなわち、お金持ちの証拠だったわけ。
庶民は食うや食わずでみんなガリガリだったから、太っている美人はあこがれの対象だったんですな、これが。

もっとも、平安美女を見ても分かるように、シモブクレにこそなりましたが
「切れ長の涼しい目」
「通った鼻筋」
などは、やはり古代エジプトから続く美人の条件です。

ルネッサンス期頃になると社会の生産性もあがり、太っている人もそれほど珍しくなくなってきたので、古代エジプトや現代と同様、見ても違和感のない(!?)美人像に落ち着いています。

日本でも、鎌倉〜江戸時代くらいになると、生産性も上がったので太めではなく
「瓜実顔」(うりざねがお)
の美人が主流となりました。お歯黒や眉をそって眉墨(まゆずみ)で書き直す習慣をのぞけば、現代の美人像とほぼ同じといっていいでしょう。

                            
テレビが基準を一変させた!!

鎌倉からずっと、日本では「正当派美人」が幅を利かせていたのですが、この状況を根底からひっくり返したのはやはり「テレビ」です。テレビで最初に放映されたアニメは、言わずとしれた「鉄腕アトム」ですが、この「アトム」をはじめ、テレビで日本中を席巻した「手塚キャラ」は、みんな「丸顔」という特徴を持っています。

テレビで「受ける」顔は、瓜実顔じゃないんです。瓜実顔は整いすぎていて、近寄りがたく意地悪そう(ノンの特徴そのままでもある)
それに対して丸顔は、親しみやすく庶民的。
それまでの美人は「貴族」とか「王女」とか「オイラン」とか、とにかく庶民には手の届かない高嶺の華的存在でした。そのため、こういう美人を攻略するには、和歌の練習に励むとか、大金をためるとか、それはもう涙ぐましい努力が必要だったのであります。
ところが、それに対してテレビは、「庶民の娯楽」ですから、ほおっておいても向こうから愛想良く挨拶に来てくれるような「親しみやすい顔」が好まれるようになったわけで、ビートたけし、徳光アナなど、テレビの人気者と言われる人たちはみんな丸顔です。

当時放映されていた「エイトマン」は、珍しく「正当派」の美人が登場する作品で、私はこれに熱中したもんです。とにかくハイブラウで格好よかったんですが、この手の美人はあまりその後は出現しませんでした。

そんな風潮がずっと続いていたところへ、この「ミンキーモモ」が決定打を打ち込みました。
それは、
「大人の魅力のする女ではなくて、ロリコンという選択肢がある」
ということを発見しちゃったんですね。アニメオタクにはかなり、生身の女が苦手なのが混じっているので、これは始末が悪いというか・・・
これ以降、ロリコン少女がアイドルになっちゃったため、反対にほとんど
「大人の女=悪女」
みたいな構図ができちゃいました。クイーン・エメラルダスなんて「宇宙の魔女」とか「冷血女」とか、もうメチャクチャな言われようです。顔に傷はあるわ、どう見ても親しみやすい風には見えませんわね。妻は大ファンなんだけど・・・
というわけで、やっぱりノンも、クールな敵役ということになってしまいました。テレビ時代の前だったら、堂々こっちが主役だったのは間違いないんですが、やはりテレビの影響や恐るべし・・・といったところです

というわけで、今や少数派になってしまったノンタイプの美女たち、ぜひ頑張ってほしいものです


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